BLOG

ブログ

第九話 アートになった煙突

2019年04月02日

最盛期には2000人を超える従業員を抱え、月300トンの銅の精錬能力を持っていた犬島精錬所(いぬじませいれんしょ)は、1909年(明治42年)、都窪郡中庄村(現在の倉敷市中庄)に所在する帯江鉱山の精錬所として岡山県宝伝沖2.5㎞にある犬島に建設されました。岡山の実業家であり、代議士でもある、帯江鉱山経営者の坂本金弥氏の主導で、当時帯江鉱山が発生させていた公害問題の対策として開設されました。

1913年(大正2年)、藤田組(現在のDOWAホールディングス)が買収。精錬所最盛期には、島の人口は5000から6000人程度もあったといわれ、この時期には銅価格が高騰していたこともあって、銅鉱石を巡って三菱、古河、久原など12の精錬所が争奪戦を展開したといわれています。ところが1916年(大正5年)にピークを迎えた銅価格は、第一次世界大戦の終息と共に暴落し、1919年(大正8年)には、ピーク時の半値にまで下落し、1919年中にとうとう操業を停止しました。1924年(大正13年)12月に住友合資会社が買収するも再建のめどが立たず、1925年(大正14年)廃止となりました。銅の精錬所としてわずか10年で役割を終え、それから約90年間瀬戸内の波間に静かに佇んでいた事になります。

 

廃止された後は、テレビドラマの「西部警察」最終回のロケ地や映画「カンゾー先生」、「鉄人28号」のロケ地として利用されました。

 

2001年(平成13年)、ベネッセコーポレーションに買収され、直島福武美術館財団により、精錬所跡を利用した犬島アートプロジェクトの一部として銅製錬所の遺構を保存・再生した犬島精錬所美術館として再利用されています。「在るものを活かし、無いものを創る」というコンセプトのもと作られた美術館は既存の煙突やカラミ煉瓦、太陽や地熱などの自然エネルギーを利用した環境に負荷を与えない三分一博志の建築と、日本の近代化に警鐘をならした三島由紀夫をモチーフにした柳幸典の作品、また植物の力を利用した高度な水質浄化システムを導入しています。「遺産、建築、アート、環境」による循環型社会を意識したプロジェクトとなっているようです。

 

犬島精錬所美術館

http://benesse-artsite.jp/art/seirensho.html より写真引用